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竹富島で会いましょう。(後編)

11月19日

ルーツフェスの報告などで飛んでしまいましたが
竹富島滞在記の後編でありんす。

さて、ライヴ本番直前になって偶然ながらも相棒との再会を果たし
とりあえず所在は確認出来たのでひと安心。
民宿新田荘で夕食をかっ食らったあと、
ハモレレのお二人とともに今夜の会場である「ヴィラたけとみ別邸」へと向かう。

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こちらが竹富島での演奏会場「ヴィラたけとみ別邸」。建ててからまだ1年も経っていないという、大変美しい木造のレストラン。

しかしこのレストラン、場所的には島のはずれの方にありまして
「果たしてこんなところまでわざわざ島の人達が観に来てくれるのかしらん」と
若干不安に思っておりました。
が!開演時間が近づくにつれ、次々とお客さんが。
しかも来る方来る方、皆な俺より若い人達ばかり。
相棒に聞くと、島の観光会社で働いている人達は
殆どが本州から渡ってきた若者だそうで、しかも女性が圧倒的なんだとか。
私、今日のライヴには島のオジィやオバァが集まるものと勝手に思い込んでいたので
予想だにせぬ状況にちょっとうろたえました(笑

そんな中、いよいよハモレレの竹富公演がスタート。
私どもマギー&マギーはハモレレのステージの途中で呼んで頂き
何曲か2人で演奏した後、ハモレレの2人にも加わって頂いて
4人でマギマギの持ち歌である「ブーゲンビリアの木の下で」を演奏。
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「ブーゲンビリアの木の下で」は、まだマギー&マギーが札幌で活動していた頃
ハモレレの白幡シャチョーが僕達にプレゼントしてくれたオリジナル曲。
かつてシャチョーが初めて竹富島を訪れた時、
素晴らしい島の風景にインスパイアされて書き上げたという
それはそれは美しいメロディのバラードソングです。
当時、沖縄民謡やオキナワンポップスに傾倒していた僕らは、いつかこの曲を
誕生の地である竹富島で演奏してみたいと冗談交じりに話していたのですが
まさか本当に実現するとは夢にも思いませんでした。
俺と相棒の憧れの地だった竹富島でマギー&マギーとして演奏していること。
そしてその瞬間に白幡シャチョーや千葉さんとともに居られるということ。
演奏しながら今は無き「BAR琉吉」での色々な出来事を思い出して万感胸に迫り、
正直、途中でちょっと泣きそうになってしまいました。

なんてセンチな気分に浸っているうちにハモレレのライヴも無事終了。
石垣島に続いての大盛況でありました。
で、そのまま会場に残った皆さんと打ち上げ。
その席で、相棒と同じように島で働く若い女性から
「相棒さんは今、凄いモテ期なんですよ~!島中の女の子に人気があるんです♪」
と、非常に腹立たしい話を聞かされ気が滅入る。
「こんなんタダのゲ~ハ~のオッサンやないかい!」と思いつつ
あとでこっそり相棒に若い子にモテる秘訣を尋ねたところ、相棒曰く、
さわやかに下ネタを言う!!
だそうだ。が、真意の程は定かではない。

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冷たい夜風に耐えきれず、相棒の勤め先である新田観光のスタッフジャンパーを強奪。
島の人達に「新しい従業員の方?」的な怪訝な目で見られ続ける。

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最後に関係者で記念撮影。かつて札幌で相棒とともに三線を習っていた◎根ちゃんが居たのには驚いたなぁ。暫く見ないと思ったら石垣島に移住して結婚しちゃってました。いや~昔はいっぱいイジメたもんだが、すっかりキレイになっちゃってねぇ(笑


打ち上げを終えた一行は、満月の灯りだけを頼りに酔いを覚ましながら
新田荘までのんびり歩いてご帰還。
街灯なんぞというものは島にひとつも無く、それも深夜だというのに
こっちだと夜明け前くらいの明るさで、周りがよく見える。
道がアスファルトではなく砕けた珊瑚で出来ているので月明かりだけで白く光るんですな。
途中でホタルなんかも見つけちゃったりして、最後まで楽しい一夜でありました。

で、翌日。
一足先に札幌へ帰るハモレレご一行をお見送りした後
休暇を取ってくれた相棒とともに再び島巡りの旅へ。
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                       サイクリング・マギマギ。


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お土産で有名な星の砂海岸で星の砂を探すマギマギ。が、ソッコーで飽きる(笑)。だって5分おきくらいに観光客が団体で押し寄せて取っていくんだよ。残ってるわけないじゃんっ!というわけで、さっさと移動。浜づたいにコンドイ浜へ。


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やっぱりココでしょ、コンドイ浜。いつ来ても溜息が出るくらい美しい。
青木「なぁ、さっきの浜と続いてるんだから、ここにも星の砂あるんじゃねーの?」
相棒「言われてみればそうだな、探してみるか・・・」
青木&相棒「(10秒後)・・・あった。っつーか向こうよりこっちの方がいっぱいあるぞ!」
皆さん、竹富島で星の砂を探すならコンドイ浜の方がたくさんありますよ。


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名曲「ブーゲンビリアの木の下で」のモチーフとなった民宿「泉屋」さんの玄関先にて。まるで花のゲートのように見事なブーゲンビリアが咲き誇っておりました。



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夕方、相棒の日課である水牛の散歩に付き合う。左がオスのチョーさん、右がメスのハナちゃん。途中、チョーさんの脱糞ショーを目の当たりにしたが、その量たるやタンクローリーから排出されるコンクリートの如し。


・・・と、こんな調子で島をウロウロしているうちに早いもので夕刻。
竹富島最後の夜となるこの日は、夕食の後、新田荘のテラスで宿泊客が集まっての
宴会(ゆんたく、と呼ぶらしい)が予定されていた。
実は私はこの「ゆんたく」を、島に来る前から密かに楽しみにしていた。
何故ならそこでは島のオジィが三線を弾きながら島唄を聴かせてくれるのだ。
決して誰かに教わったり習ったりしたものではなく、
生まれた時から当たり前のように側にあった唄。
そんなリアルな島唄を、いつかナマで聴いてみたいとずっと思っていた。
唄ってくれたのは新田荘のオーナーで、今では島の数少ない唄者でもある新田ヒサシさん。
聴く人の肝(ちむ)に響く、本当に良い声だった。
座が盛り上がってくるとヒサシさんと一緒に新田荘を切り盛りしているヒサシさんのお母さんも
三線に合わせて唄を披露してくれたのだが、これがまた素晴らしかった。
この島に生まれこの島で育ったオバァの、ホンモノの島唄。
なんだか聴いてるだけで涙が滲んでくる。ウタノチカラを思い知らされました。
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             調子に乗ってマギマギも唄を披露。結構ウケました(笑

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ヒサシさんが三線を手に島唄を聴かせてくれる。    コードを探したがるミュージシャンの性。

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      カチャーシーで踊り狂う私。        新田荘のお母さん。「十九の春」は沁みた・・・

宴会の席でお母さんにマギー&マギーというグループ名の由来を聞かれたので
相棒が札幌に居た頃師事していた三線の先生が名付け親で、
僕らは声も大きいし顔も大きいし態度も大きいので、沖縄の方言で“大きい”という意味の
“まぎぃ”という言葉から命名されたんだと説明すると、お母さんはニッコリ笑って
「それは違う」と。
「あなた達はさっき童神(わらびがみ)という唄を歌ったでしょ?
あの曲は“生まれてきた子供に大きく健やかに育って欲しい”という願いを込めた唄なんだよ。
その先生も同じような気持ちで、貴方達に大きく育って欲しいから“まぎぃ”って言葉を
贈ってくれたんだよ」と。
・・・じ~ん(T-T)(T-T)
そっか、俺達バカだから全然気付かなかったよ。
それにしてもお母さん、なんでそんな優しい顔でそーゆーこと言うんだよ。
危うく涙がこぼれちゃうところだったじゃないか。
ありがとうね、お母さん。

最後はみんな三線に合わせて唄って踊っての大盛り上がりの中、ゆんたくも終了。
昔は島中の民宿でこのような宴会があったらしいけど
今では新田荘ともうひとつの宿くらいでしかやらないそうな。
昔に比べて、島の唄者が減ってしまったからというのがその理由なんだが
こういう伝統は是非残していって欲しいなぁと強く思いながら最後の夜を過ごした次第。



そしてとうとう最終日の朝、島を出る船の時間を待っている間、
新田荘のテラスに腰掛けボーッとしていると、たまたまヒサシさんと二人きりになった。
その時何気無く話してくれたヒサシさんの三線や島唄に対する思いがとても印象的だった。

「三線や沖縄民謡を一生懸命勉強して、賞を取りたくて頑張っている人達が
全国からウチに聴きに来るけど自分は工工四(※くんくんしー。三線の楽譜のこと)なんか
読めないし誰かに習ったわけでもない。だから自分の唄も三線も完全に自己流。
昔は三線に対して楽器だという意識はなかった。言わばチリトリとかホウキとかと同じで
どの家にも当たり前に置いてある日用品みたいなものだった。
それを子供の頃からイタズラしたり、近所のオジィが歌ってるのを聴いたりしているうちに
自然に覚えた。それが楽しかったから。
今の人達は高い金払って手取り足取り教わって三線を弾く。
唄だって先生から“それじゃ賞は取れない、こういう節回しで歌いなさい”とやられる。
島唄なんて本当は自分の歌いたいように歌って、弾きたいよう弾けばそれでいいんだ。
少なくともこの島で唄うのに、こういう風に歌わなきゃいけないなんて決まりはないんだから」

ヒサシさんは、いつの間にかコンテストで賞を取ることが目的になってしまった
三線弾きの人達を哀れんでいる様子だった。でも、これって実は全ての音楽に共通することだ。
島唄の発祥は、BLUESのそれと似ている。
苦しい生活の中で、つかの間でも癒されたり辛さを紛らわす為に
先人が自然と口ずさんできたものが伝搬し、いつの間にか唄になった。
そんな唄を、いくら表面的な部分だけ模倣したところで何の意味もない。
それより「三線を弾いて唄ってみたい」と思った最初のときめきを忘れないで欲しい。
僕にはそんな風に聞こえてならなかった。
世間話の中で出た言葉が、帰路に就く僕の胸にいつまでもズシリと残った。

今回の石垣島・竹富島行きは、はじめこそ憂さ晴らしのみが目的で思い立ったのですが(笑
道中多くの人達と接したり、曲がりなりにも演奏させて貰ったなかで、
気が付けば色々なことを感じたり、考えさせられた旅でした。
白幡さん、千葉さんは勿論、道中ずっと一緒に行動した沖縄キ◎ガイの仙台在住のドクター、
石垣島すけあくろで出会った皆さん、竹富島新田荘のお母さん、ヒサシさん、ミホちゃん、
たまたま宿泊した日が同じというだけであんなにも親しくしてくれた宿泊客の皆さん、
新田観光はじめ竹富島で働くスタッフの皆さん、野原健さん、ヴィラたけとみのスタッフの皆さん、他にも大勢の人達と話したり飲んだり笑ったりさせて貰って、
その全ては今、僕の血となり肉となっております。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。行って良かった。ありがとうございました。



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左が心の師ヒサシさん、右は新田荘で働いているミホちゃん。新田荘に泊まって良かったです。




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    竹富島の空に架かった二重の虹。雨にも当たったけど、これが見られたから帳消し。




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西桟橋に沈む夕日。滞在中はあまりお天気良くなかったけど最後に夕日が見られて良かった。




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 俺達やっと約束の地に辿り着いたな。俺はまたこの浜に戻ってくるよ。それまで達者で暮らせ。
by fatswaller | 2009-11-19 22:10 | ジャイアンな日記♪

札幌で活動しているswing&jiveバンド「ジャイアンリサイタル」のメンバーが綴るよもやま日記とバンド情報


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